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okucyanさん
はじめまして!東京から思い出の書き込みありがとうございました。
私はちょうど生まれた頃ですが、確かに朝は客車が走っていたようですね。昭和57年頃まではディーゼル機関車牽引の客車が走っていたと聞きます。ちょうど一昨年「レトロむろね号」という名前で旧型客車がイベント列車として大船渡線を走りましたね。
そして折壁駅。残念ながら2007年11月に歴史ある駅舎は建て替えられてしまいましたが。ホームやその風景などは変わらないままだと思います。春には桜が満開になり、ツツジも咲きますね。
息子さんとジオラマにハマっているとのこと・・・。私もいつか家の一角を占有して大船渡線沿線ジオラマを作ってみたいなぁと思ってます(笑)
出来たら是非お写真ででも拝見させてくださいね。
kiha28(だいすけ)さん
こちらでははじめましてですね。書き込みありがとうございます。
私も、知っていたら息子を負ぶってでも駅まで見に行ったのに・・・です(笑)。
さて、題名の件ですが、最近の掲示板の話題から「TAKATA」のヘッドマークと「気仙沼線」、そしてもう少しで来る「海水浴シーズン」で私がピン!と来たのが、昔あった臨時駅のことです。
以前この掲示板で話題にした昭和30年代に陸前高田〜脇ノ沢間にあった夏限定の臨時駅「高田松原駅」の話ですが、最近、その話を職場の50代の上司にしましたら、「あぁ、そういうのだったら岩井崎のあたりにもあったよ。やっぱり要らなくなった枕木で作ったやつね・・・」と言うではありませんか!
つまり、昭和30年代に現在の気仙沼線(当時は本吉線)にも臨時駅が存在していたみたいなのです。場所は現在の陸前階上〜大谷海岸の間だったようです。
確かに、高田松原駅を調べていた際、東海新報には一ノ関〜大谷間にも走っていたという記事もあったのですが、圏域外のことなので、それ以上の詳しい話は載ってなかったので、よもやこちらにも臨時駅を作ったとは・・・。てっきり大谷海岸向けの海水浴列車だとばかり思っていたのです。どうも、推測するに一ノ関から当時では珍しい最新鋭のディーゼルカー4両でやってきて、気仙沼で2両ずつに切り離して、一方は大谷方面、もう一方は高田松原方面とわかれていたようなのです。以前この掲示板に書き込み頂いた「地鉄好き」さんの情報ですとディーゼルカー運用による海水浴列車「しおかぜ号」は昭和33年、一ノ関駅〜大谷駅間が最初だそうで、気仙沼市史の年表にも翌年34年に一ノ関〜大谷間に「しおかぜ号」を運行したと書いてありましたので、しばらくは続いたものと思われます。岩井崎のあたりに臨時駅を設けるとすれば、おそらくは「お伊勢浜」への利便性を狙ったものだったと思うのですが、場所的には現在の「岩井崎踏切」のあたりになるかと思います。臨時駅の駅名は「お伊勢浜駅」だったのでしょうか?
昭和30年代のお話ですが、どなたかご存知でしょうか?
参考「昭和30年代大船渡線に臨時駅があった」はこちら↓
http://www.ougonrail.com/rinjieki.htm
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