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Re: 山岡氏について

 投稿者:山岡 功  投稿日:2017年 8月 6日(日)11時48分29秒
返信・引用
  > No.347[元記事へ]

伊東先生、お忙しい中を回答頂き、ありがとうございます。お手数をおかけしました。

時間を作って、山中城のある三島市の図書館や郷土資料館を訪ねてみようかと画策しています。
しかし、歴史小説に全く興味のなかった私ですが、この件で「小田原の役」に大変興味深く、
身近に感じられ、先生の作品も幾つか拝読できたことは大変に素晴らしいことです。
祖先に感謝したいと思います。
 
 

山岡氏について

 投稿者:伊東潤  投稿日:2017年 8月 6日(日)11時03分45秒
返信・引用
  山岡様
随分と昔のことなので、全く覚えておりません。
多分、軍記物の記載ではないでしょうか。
『後北条氏家臣団人名辞典』を見ても山岡氏の記載は一切ないので、おそらく一次史料はないと思われます。
お力になれず申し訳ありません。
 

『悲運山中城』の記載について教えて下さい

 投稿者:山岡 功  投稿日:2017年 7月22日(土)11時46分15秒
返信・引用
  伊東潤先生、初めて質問させていただきます。
 私事では有りますが、長野県岡谷市湊には80軒ほどの山岡家が存在し、一説には『天正11年の近江瀬田城主山岡景隆公の財ケ岳合戦後に一族は各地に離散し、山岡左京と名乗る者が信州諏訪郡湊村(現、岡谷市湊)に渡り、天正17年頃妻と男児3名を残し伊豆伊東の地へ赴いた。』とあります。また、『類衆名物考』山岡浚明著に「山岡左京助」があり、北条五代記巻十で山中にて討ち死にと記されています。こうしたことから、私の出自をもっと探ろうと関係する文献を調べているところです。
 さて、『悲運山中城』を読み進めるとp198に「山岡左京亮景則」を発見し、興奮しました。この出典はどういった文献でしょうか。北条五代記より詳しい情報を掲載されていたので、質問をさせて頂きました。
 

Re: 触書の男

 投稿者:伊東潤  投稿日:2017年 6月 8日(木)10時01分30秒
返信・引用
  > No.342[元記事へ]

笠岡住人さんへのお返事です。

様々なご意見ありがとうございます。
参考にさせていただきます。
 

Re: 頼朝と義経の関係

 投稿者:伊東潤  投稿日:2017年 6月 8日(木)09時59分38秒
返信・引用
  > No.341[元記事へ]

伊達二郎さんへのお返事です。

番組をご覧いただき、ありがとうございます。
また貴重な自説をご披露いただき、感謝に堪えません。
来年一月に文藝春秋から『修羅の都』という作品を出します。
この作品で鎌倉幕府初期の実相を描こうと思っています。
ぜひお読み下さい。
 

Re: 潮待ちの宿

 投稿者:伊東潤  投稿日:2017年 6月 8日(木)09時57分12秒
返信・引用
  藤井琢三さんへのお返事です。

ありがとうございます。
笠岡はいいところですね。
これからもシリーズは続きます。
六つの短編で完結します。
よろしくお願いします。
 

触書の男

 投稿者:笠岡住人  投稿日:2017年 6月 2日(金)10時37分30秒
返信・引用
  「触書の男」 拝読しました。備中南西部に位置する人口五万人弱の田舎町が全国版の知名度の高い雑誌掲載という型で時代小説の舞台として登場するのは住民としても誠に悦ばしいことです。愉しく拝読、今後の益々のご健筆をお祈りもうします。
 読了後に笠岡湊に関する時代記述で気付いた点、何点かありましたので、私見を述べさせていただきます。当方も時代考証は今猶勉強ちゅうで、お調べの上ご教示頂ければ幸いです。

1-笠岡の気候が温暖なのは、瀬戸内海に面しているから。これは納得。でも地形が「引っ込んでいる」ためというのは、埋め立て後の現在の地形の湾入のイメージではないでしょうか。当時の海岸線は干拓地は未完成で、JRの線路の北側まで海が来ていました。
2-海運の積荷に茶と煙草は初耳です。当時笠岡湊の舟荷は年貢米以外では繰綿・生綿とその肥料の干鰯が主でした。城山の稲富稲荷のには干鰯組合連中が「みずち像」を奉納し、神社の玉垣355本を寄贈。全国津々浦々二府十八県、三十二国の海運業者の名前が刻まれています。
3-「笠岡には古城山を五町ほど隔て伏越港と笠岡港があった」と書かれていますが、そもそも伏越港ができたのは神島に亜鉛製錬所ができてからのこと。明治44年です。それまでの港絵図に伏越は描かれていません。遊女街も然りです。安政年間の花街は西本町です。亀川屋の米藏があったのは駅舎西側の県道34号の西沿いです。依って港も駅の西寄りが栄えていました。魚市場は現在伏越港にありますが、当時は「魚の棚」という名称で駅前近くに古地図に描かれています。
4-汐待ちについて。
  「・・・海が荒れる満潮を嫌って、引き潮を待つ船が寄港してその船手たちが泊まった・・・」という表現で書かれています。抑も汐待ちとは、笠岡が瀬戸内海の中央部に当たり、潮の流れは東は明石海峡、西は豊後・関門水道から海水が入り込み、満潮と干潮時には潮流が止まります。そして転流となり潮は逆方向へ流れます。どうも満潮=津波や台風などを連想した避難港としてのイメージで描かているようです。
帆船時代は風と汐による航法でしたので、汐が止まれば待ちとなります。
5-早川代官の肝煎りで創立された郷校敬業館は、嘉永三年(1850)三代目 小寺完之の時、経営不振となり幕府からの助成打ち切りとなり資産は小寺家へ払下げとなり私塾となっています。この小寺完之という人物、アル中で素行よろしからず、九年後の慶応元年に53才で若死にしています。よってこの時期に敬業館が正常に運営されていたかどうか?また志鶴ちゃんの年齢を考えると入塾は疑問です。
6-笠神社 旅籠真なべ屋のご近所の氏神さまの名称は、安政五年当時は東八幡宮です。あるいは伏越or宮地八幡宮と呼ばれていました。笠神社へは明治四年の改名。

 

頼朝と義経の関係

 投稿者:伊達二郎  投稿日:2017年 6月 1日(木)00時40分56秒
返信・引用
   「松也の歴史ミステリー;頼朝・義経兄弟対決」なる番組を拝見し、私の感想を述べたくてメールしました。私は自分のルーツを調べていて、次のような説を見出しました。初めて伊達を名乗ったのは常陸入道念西とされていますが、念西の母親は源義朝の妹とされていますので、念西は頼朝・義経の従兄弟という事になります。念西には男子が10名前後おりますが、女子もいて、その中の一人が頼朝の側室となり大進の局と呼ばれています。この大進の局には頼朝との間にできた貞暁いう男子がいたのですが、「貞暁は北条家から命を狙われたが、命乞いをした結果四十数歳で天寿を全うした」説と「北条家に命乞いをしたが、四十数歳で暗殺された」説と2説があるようです。つまり北条家は頼朝の直系を根絶やしにするつもりだったのではないでしょうか?頼朝の落馬死亡説にも、暗殺説が存在します。頼家が修善寺で闇討ちにあったのは、北条家の仕業と言うのは史実として確立しています。また公暁をたきつけて実朝を暗殺しやすいように仕向けたのも北条家だと言われています。公暁は重罪人として簡単に処刑できます。これらの事実をつなぎ合わせると、北条家は当初から頼朝と義経の良好な関係は不都合だったのではないでしょうか?後白河法皇が両者の仲を割こうとしたことも事実だろうとは思いますが、北条家も両者の仲を割こうとしていたと思います。
 余談ですが「壇ノ浦の合戦」で潮の流れは重要でないという本郷教授の説は、あっさり兜を脱いだから良かったものの、お粗末でした。この潮の流れについては、貴説が全面的に正しいと思います。さすが元サーファー!私もサッカーを少し経験しましたが、サッカーは潮ではなく風のみですが風に大きく左右されます。東大教授といえども、元スポーツ少年と言うぐらいであってほしいものです。
 

潮待ちの宿

 投稿者:藤井琢三  投稿日:2017年 4月 9日(日)19時34分12秒
返信・引用
   地元新聞に貴殿の「潮待ちの宿」の紹介がありバックナンバーを求めて拝読しました。
大変読みやすく一気に読了。次回を楽しみにしていますが、笠岡の方言がもう少し出るともっと地元の人間としては嬉しいです。

 小生の書いた小説「アマモ揺れる海」正・続はアマゾンで求めることがてきます。
 ご一読あれ。

http://takusan.grupo.jp/

 

Re: 悲雲山中城を読みたいのですが・・・

 投稿者:伊東潤  投稿日:2017年 3月23日(木)15時15分58秒
返信・引用
  > No.336[元記事へ]

シバタさんへのお返事です。

> 今日、三島市にある中山城に行ってきました。とても興味深いお城跡でした。あんなに、お堀を工夫して作ってあるのに、半日で落城したとのことなんですね。近くの入ったお団子屋さんに、「戦国関東血風録外伝―悲雲山中城」が置いてあり、是非是非読みたいと思ったのですが、どこも売り切れで、図書館にもありません。三島市、静岡県の図書館にもありませんでした。どうしても読みたいのですが、購入する方法はありますか?

申し訳ありません。
残念ながら廃刊となってます。
直木賞が取れたら文庫と電子で出す予定でいたのですが、ご存じの通り、取れていないので「待ち」の状態になっています。
力至らず、申し訳ありません。
中古は高いので、取れる時までお待ち下さい。
死ぬまでに取れなかったら永遠の廃刊となります(苦笑)。
その時はごめんなさい。
 

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