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Re: 隠れた歴史(埋蔵金)

 投稿者:伊東潤  投稿日:2016年 4月26日(火)03時52分11秒
返信・引用
  > No.320[元記事へ]

岡本智明様

掲示板に書き込みいただき、ありがとうございました。
いつもラジオを聴いていただき、感謝しております。
拙著もぜひお読み下さい。
 
 

隠れた歴史(埋蔵金)

 投稿者:岡本智明  投稿日:2016年 4月 9日(土)08時53分3秒
返信・引用
  毎回nhkの城歩きを聞いています。城をめぐる歴史も興味深くきいています。私の手元に世間にはほとんど知られない隠れた(隠された)歴史的事実のデータがあります。機会をいただけけばお話したいとおもいます。
 

Re: 捕鯨文化について

 投稿者:伊東潤  投稿日:2016年 1月12日(火)04時53分10秒
返信・引用
  > No.318[元記事へ]

太地 亮様

返信が遅れまして申し訳ありません。
それはよかったですね。
捕鯨問題についての国民の理解が深まることを期待しています。
しかし西洋人は「追い込み漁」に的を絞ってきていまして、これからも苦しい戦いは続きます。
実は『Behind The Cove』という作品のパンフに一文を頼まれました。
そこでこの問題の本質を語っていますので、機会があればご覧ください。
東京では1/31公開予定です。
http://behindthecove.com/

これからも誤解を解く闘いを続けていきましょう。
 

捕鯨文化について

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年12月24日(木)23時47分49秒
返信・引用
  伊東潤様、『鯨分限』について、仁坂和歌山県知事にご紹介したところ、大変お喜び下さって、側近の方が2日間で完読したそうでした。そのこともあってか、知事は太地の古式捕鯨を文化庁認定の「日本遺産」申請を行おうとしております。以下は、朝日新聞デジタル版での記事です。
http://www.asahi.com/articles/ASHDP5QKXHDPPXLB014.html
11月から12月にかけて県立博物館ででも「太地古式捕鯨企画展」が皆済されて、盛況でした。来年も貴著『鯨分限」外、人気の的となって欲しいと願っております。

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

伊東様、メッセージ有難うございます。

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年10月15日(木)23時21分44秒
返信・引用
  伊東潤様、
私へのメッセージ、嬉しく読ませて頂きました。先日(10日)の太地・飛鳥神社の宵宮で、町長初め、教育長までも参拝にきておりました。教育長には太地捕鯨史を是正するように、私より叱責されているものですから、私への御機嫌伺いで「太地君は伊東潤著『鯨分限』で覚吾が主人公になっているのを知っているか?」との話がありました。実は、貴著を和歌山県古座川町に居住する従姉に一冊届けたところ、大騒ぎをして近くの書店で10冊ほど注文し、公的機関や知人に配布する有様です。しかも、下欄で紹介した「熊野新聞」の記事も添えて多忙な日々を送っているようです。(笑)
私も新宮市立図書館に1冊寄贈したところ、伊東潤様が資料収集で来て下さっていたことを職員の方よりお聞きしました。
それに今週土曜日(17日)にはオーストラリア人で和歌山大学観光学部特任助教のサイモン・ワーン氏が会って欲しいとのことだったので、貴著をプレゼントし、学生にも紹介して欲しい旨、伝える予定にしています。彼はシーセパードの映像担当をした経験があるそうですが、博物館で捕鯨文化に魅せられ、和歌山大学で博士号を取得するため籍を置いています。
私には津本陽著、直木賞受賞作『深重の海』で覚吾の人物性を貶められたという思いがあり、今まで幾人かの作家の方とのコンタクトの結果が満足のするものではありませんでした。
私は芥川賞受賞作家、故・中上健次とは高校時代の同クラスで親友でもありました。それで、伊東様におかれては、この『鯨分限』で直木賞を受賞されることを願うところです。この作品は古文書等の裏付けがあるので、しっかりした作品であることを見抜いて下さることでしょう。

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

ありがとうございました

 投稿者:伊東潤  投稿日:2015年10月15日(木)10時23分11秒
返信・引用
  太地亮さま
カキコミいただき、ありがとうございました。
ご子孫の方にご満足いただき、これ以上の喜びはありません。
亮さまのご著作や論文も多数、参考にさせていただきました。
覚吾さんは責任感のある男の中の男だと思います。
新国立競技場問題でも、エンブレム問題でも、昨今の日本は無責任社会となりつつあり、そうした時代だからこそ、責任を一身に背負える覚吾さんのようなリーダーが必要だと思います。
何事も自責で考え、時には自らの責任でなくても黙って責任を取る、こうしたリーダーこそ、今の時代に望まれるのではないでしょうか。
今の若い方々に、日本人本来の姿を知っていただきたいと思っています。
さらに来年七月、ミステリーですが太地が絡んできます。
『横浜1963』という作品で、祖父に太地の鯨取りを持つ横須賀基地のMPが、横浜の警察と一緒に殺人事件の捜査をするという話ですが、今年の五月頃に、歴史資料室で開催された「海を越える太地」を参考にさせていただき、過去の回想を多くして、カリフォルニアに移民した太地の人々の生活を詳しく書いています。
そちらもお楽しみに!

 

『鯨分限』の地元新聞の記事

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年10月14日(水)04時16分59秒
返信・引用
  度々、失礼します。過日、小説の舞台となった太地町を含めた地元での新聞に『鯨分限』が紹介されました。2日間にわたり、掲載されて、1日めには本の紹介と主人公の実際の経歴と画像(私より提供)、2日めは同紙記者によるコラム(書評)が掲載されました。以下はその内容です。

熊野新聞  2015年(平成27年)10月10日(土曜日)
  捕鯨の未来に命かけた男 『鯨分限』伊東潤著
 幕末の太地、捕鯨集団「太地鯨方」のリーダーとして活躍した太地覚吾をモデルにした小説『鯨分限』(伊東潤著)光文社=東京都文京区=から出版された。「大背美(おおせみ)流れ」の海難事故など次々に襲う苦難に立ち向かい、捕鯨の未来を切り開こうと奮闘した男の生涯が描かれている。
 幕末から明治へ、日本は政治、経済、社会全てが激変する時代を迎えていた。太地に生まれた主人公の覚吾は、何かを成し遂げたいという一念で青春時代を生きる。安政の大地震による津波で太地は壊滅的な被害を受けるが、やがて「太地鯨組」の棟梁(棟梁)となり、新規事業分野ともいえる蝦夷(えぞ)地での捕鯨を探る。しかし、太地鯨組に壊滅的な被害をもたらした「大背美流れ」に遭遇するなど幾度もの大きな苦難が覚吾を襲うー。 作者の伊東潤さんは1960年、神奈川県横浜市生まれ、早稲田大学卒業、『巨鯨の海』(光文社)で「第4回山田風太郎賞」{第1回高校生直木賞」を受賞、「この時代小説がすごい!」の第1位を獲得、最新刊に『武士の?』(PHP研究所)がある。

 ■太地覚吾
 覚吾は実在の人物。1606(慶長11)年に太地捕鯨を開始した和田忠兵衛頼元、その孫で1677(延宝5)年に網掛突取捕鯨法を開発した太地角右衛門頼治の直系子孫。1833(天保4)年生まれ。
16歳で父角右衛門頼在が没し、家督を相続する。紀州藩代々勘定奉行直支配地士。新宮領太田組大庄屋。
 江戸期は7代目角右衛門頼成、明治期になり覚吾頼次と名乗る。1871(明治4)年、太地・三輪崎の捕鯨権を得る。1875(明治8)年に北海道捕鯨計画で融資元の小野財閥が倒産、資金調達に失敗し、多額の準備資金支出で負債を抱えたため、太地・三輪崎の捕鯨権を手放す。
 1878(明治11)年に捕鯨権の返還を受けるが、この年12月24日、セミクジラの母子を追った漁船団が帰還中に暴風により遭難。太地鯨方は壊滅状態に陥る。1880(明治13)年に捕鯨を休止。1899(明治32)年、梶取﨑に自費で洋式燈台を建立し、救難所を設置した。1909(明治42)年没。

熊野新聞 2015年(平成27年)10月11日(日曜日)
コラム『水平線』

優れた写真や名画などの良さはまさに一目瞭然(りょうぜん)。だが、小説など本の良さは読んでみないと分らない。表紙の意匠やキャッチフレーズに込められた通りの感動が読者に伝わるかどうかが作品の評価を決める▼過日、むさぼるようにほぼ一日半で読み終えた歴史小説がある。ことし9月に光文社が出版した伊藤潤著「鯨分限(くじらぶげん)」。父の跡目を継ぎ弱冠15歳で紀州・太地の捕鯨集団「太地鯨組」の棟梁(とうりょう)になり、77歳で没するまで逆境と戦い続けた男の物語だ▼太地には、明治時代、巨大なセミクジラを追った漁船団が暴風で遭難し、多数の犠牲者を出した歴史がある。その悲劇を活写し、昨年文学賞三冠に輝いた「巨鯨の海」の著者が自信を持って放った第2騨。かつて、ゴンドウクジラを獲る小型船に同乗して現場を取材した経験のある筆者にとっては、またも感動の一作となった▼小説には史実にはないフィクションの部分も。例えば、紀州藩から水夫として戦に駆り出された主人公が、敵に捕えられ首を斬られようとした時、突然現れた坂本竜馬に助けられるという場面もあり、これがまた面白い▼読書の秋、すでに何冊かの本を手元に積み上げている方もいよう。何を読むかはその人次第だが、紹介したこの小説も一読に値する作品だと思う。  (太田 明)

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

「お礼」の再度の訂正

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年10月 8日(木)10時43分4秒
返信・引用
  > No.312[元記事へ]

何度もの訂正、申し訳ありません。
以下の「開設」は「解説」のつもりでした。

> 覚吾の戒名「無物院覚吾惟足居士」の意味も本文で解説され、・・・

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

「お礼」の文中の訂正

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年10月 8日(木)10時32分5秒
返信・引用
  > No.312[元記事へ]

先に「お礼」のコメントを書きましたが、表現上おかしな面があったので、以下のように追加、訂正をさせていただきます。

> この著書の紹介について、「西日本新聞」・・・
http://www.nishinippon.co.jp/nlp/reading_guide/article/198320

> それで、数日前、地元の「熊野新聞」編集長に会い、御著書を差し上げて、紙面での紹介をして欲しい旨・・・

> ご承知の通り、太地捕鯨は慶長11年(1606)に和田忠兵衛頼元が捕鯨を開始し、延宝5年(1677)に頼元の孫太地角右衛門頼治が網掛け突き取り捕鯨法を開発して、・・・

>井原西鶴の作品では角右衛門を『日本永代蔵』の「天狗は家名風車」での天狗源内として初代角右衛門の名声を記していますが、『鯨分限』により、伊東様のことを私は「平成の西鶴」だと思っているところです。

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

お礼

 投稿者:太地 亮  投稿日:2015年10月 7日(水)09時42分50秒
返信・引用
  この度、『鯨分限』で私の曾祖父、太地覚吾を描いて下さって、有難うございました。
彼岸の入りの9月20日に書店で見つけ、早速、覚吾の墓前に報告して来ました。
覚吾の戒名「無物院覚吾惟足居士」の意味も本文で開設され、またこのブログにおいても「吾唯足知」を記されているのを知り、伊東様のこの書への思い入れが伝わって参りました。
私は(財)日本鯨類研究所顧問、大隅政治先生に御著書をお送りしたところ、大変喜んで下さっていました。太地町立鯨の博物館名誉館長もされていて、私を懇意にして下さっています。
この著書の紹介について、「西日本新聞」においても大きく紹介されており、私の地元の書店においても売れているようで、嬉しく思っているところです。
それで、数日前、地元の「熊野新聞」編集長に会い、御著書を差し上げて、紙面での紹介をシテ欲しい旨依頼したところ、快諾して下さいました。この新聞は和歌山県新宮市より串本町にかけての読者がおり、特に太地町では多く読まれています。
ご承知の通り、太地捕鯨は慶長11年(1606)に和田忠兵衛頼元が捕鯨を開始し、その孫、延宝5年(1677)に太地角右衛門頼治が網掛け突き取り捕鯨法を開発して、天和3年(1683)暮れから翌年春までのわずか数ヶ月間で96頭もの鯨を捕獲して全国に知られ、紀州藩主より太地姓を与えられ、井原西鶴の作品では角右衛門を『日本永代蔵』の「天狗は家名風車」での天狗源内として初代角右衛門の名声を記していますが、伊東様の『鯨分限』により、伊東様のことを私は「平成の西鶴」だと思っているところです。亡き覚吾も喜んでいることと思います。
今後、この作品が高く評価され、多くの読者により知られることを願っています。
(添付画像ファイルは、覚吾の梶取﨑燈台と救難所を設置した時の明治32年(1899)、66才の時の写真です。和服の下には、わざとらしく洋風制服を着ているのがわかります。)

http://www.cypress.ne.jp/taiji/

 

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